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「第20回雪舟サミット」自治体リレートーク

防府市 能野 副市長

防府市副市長の能野でございます。よろしくお願いいたします。

今日はここ井原での雪舟サミットに参加させていただき、誠に感謝しております。防府でございますが、ぼうふと読まれることが多く、なかなか認知が難しいということで読み方を一生懸命覚えていただくようにしております。

ぜひともお見知りおきをしていただければと思います。

ちょっと私立ちますと緊張で足がカタカタしますので着座にて説明の方をさせていただきます。

歴史のまち防府をご紹介させていただきます。

防府市は、山口県中央部の瀬戸内海に面して温暖な気候に恵まれた街です。写真は防府の東側にそびえます大平山633mからの眺望になります。

大平山の山頂は1月1日のご来光から始まり20万株のツツジが咲き誇る5月、瀬戸内海の多島美の眺望が望めるなど、山頂公園として1年を通じて、市民の憩いの場所となっております。

また、防府市は周防の国府が置かれたということで防府市と名乗っており、これまで多くの歴史が息づいております。その中でも特に、日本で最初に創建されたと言われる防府天満宮、創建当初の境内に今もあるという珍しい周防国分寺、2万5000坪の庭園を有する国指定名勝毛利氏庭園、4,000株のアジサイが咲き、西のあじさい寺と言われております東大寺別院阿弥陀寺これら4施設を「すごいぞ!防府」として歴史のまちとして売り込んでいるところです。

その中で本日は雪舟筆の四季山水図を所蔵しております毛利家に纏わる二つのなぜについてご紹介したいと思います。

始めに、なぜ防府の地に公爵となった毛利家の本邸が建設されたのかということです。

ご存知の通り毛利家は、昨年度のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に登場した13人の1人である大江広元公を祖とし毛利季光公から、現当主の毛利元敦公まで脈々とその家を現在も営まれております。毛利といえば毛利元就が、3人の息子へ説いた3本の矢のエピソードが有名ですが、三子教訓状これは毛利博物館所蔵ですが、毛利元就が3人の息子に毛利の繁栄のため息子の結束を説いた書状ですがそれがルーツとなって、江戸時代に3本の矢として創作されたと言われております。

この三矢の教えは、中国地方を担当する陸上自衛隊第13旅団の部隊章や、Jリーグサンフレッチェ広島のエンブレムにも採用されており、今なお中国地方に息づいております。

さて、明治23年、明治憲法の発布に合わせて、各華族家の間で、家の憲法とも呼ぶべき家憲が制定されます。公爵となった毛利家もこの年に当主元徳公によって家憲が定められ、その第1条において、本拠は東京ではなく、山口県下の「土地健康にして、かつ、交通便利の地」とされました。

この山口県下としたのは家憲の制定を主導した井上馨が、イギリスのジェントリー層に習い地方に拠点を置き、そこの地域住民と利害をともにすべきとの主張に基づくものだということです。

この規定に従って、明治25年に制定されたのが現在の防府市多々良の地でした。

選定の理由の一つには元徳公の嫡男元昭公がやや病弱であったため、都会暮らしを避け、気候風土の良い地での療養に専念できることもあったとされています。

確かに毛利家本邸は、平野の広がる防府市の中でも高台に位置し、2階からは、はるか大分県の姫島を望むことができます。また初夏にはホタルが舞うなど、今でも豊かな自然が残されております。

こうして家憲の制定から26年後の大正5年、防府の多々良の地に毛利家本邸が完成をいたしました。

井上馨の提案した通り、毛利家2代目公爵となった元昭公は、その生涯の大半を防府の地で暮らしたと言われております。

次に、2点目ですが、なぜ、雪舟筆四季山水図は、毛利家の所蔵となったのかでございます。

本日10月28日から、毛利博物館において、特別展「国宝」が始まり、毛利博物館が所蔵する4点全ての国宝が展示されます。

その中でも毛利博物館の国宝の代表格が雪舟芸術の最高傑作と言われます「四季山水図」でございます。

当市が雪舟サミットの一員としてある唯一の証でもあります。

国宝に指定される逸品ですが、意外と謎が多い作品となっております。

雪舟が記した奥書がありますので、書かれた年代は文明18年、1486年とはっきりしています。近年の研究によると、画巻という形式や書かれた年代などから、大内氏の当主政弘氏が大内氏の記念碑的作品として雪舟に描かせ、氏神の氷上山興隆寺に奉納したものという説が有力になっております。

長州藩の御用絵師を務めた雲谷家の家伝によりますと、雲谷家の初代等顔が毛利輝元から四季山水図を拝領したといいます。研究によると、ある時期まで雲谷家が所蔵していたことは明らかなことから、おそらく大内氏の滅亡後、毛利氏が何らかの経緯でこの作品を手に入れたものと思われております。

しかし、大内氏がどう管理していたのか、誰がそこから持ち出したのか、毛利氏がどうしてこの宝物の所在を知ったのか、元就や輝元がどう扱い管理していたのかは謎のままでございます。

結局、四季山水図が毛利家所蔵となった経緯は明らかになっておりませんが、謎は謎としてその時代に思いを馳せることが、歴史の醍醐味でもございます。

四季山水図が現在に至る道のりは平坦なものではなく、今この謎に満ちた実物を拝むことができるのも奇跡といえるものです。四季山水の素晴らしさと謎を、ぜひ特別展「国宝」に足を運んでいただき、その目で確かめていただければと思います。

最後にお知らせが二つございます。

一つは、今年6月に毛利家の御用絵師、先ほども紹介しました雲谷等益が「四季山水図」を模写した「紙本墨画淡彩四季山水図」が国宝「四季山水図」の附という指定から、新たに国の重要文化財に指定されました。現在山口県立美術館で開催中の「雪舟と雲谷派展」でお披露目中ございます。同時に雪舟の本物のコピーですが、それと比較して見ることができますので、こちらもぜひご覧いただければと思います。

もう一つは、10月20日にJR西日本から発表されましたトワイライトエクスプレス「瑞風」の令和6年秋の山陽コースに毛利氏庭園が選ばれました。運行期間中は特別展「国宝」の開催と重なりますので、雪舟サミットの一員として、雪舟の最高傑作「四季山水図」を多くの瑞風乗客の方に、しっかりとPRをしていきたいと思っております。以上防府市からのご紹介でした。ご清聴ありがとうございました。

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