ゲストトーク

講演:超現代語訳画聖雪舟
講師:吉本興業所属プロードキャスト!! 房野 史典 氏
立派な本当に喋りがうまい中学生のお2人に紹介していただいたんですけれども、今回僕、歴史のこと雪舟のことを喋らさせていただきます。
その紹介にもあったんですけど、井原市の東江原の出身なんです。
これなんです呼ばれた理由は、ここもこれが9割ね。ありがとうございます。
吉本にいる、ここの出身のやつ、千鳥か房野千鳥か房野、千鳥無理!房野これです。ありがとうございます。
こういう理由で呼んでいただいたんですけれども、もう1個だけね理由があったとすれば、ここにもう既に出ているんですけれども、私ちょっと昔から歴史が好きで、戦国とか幕末とか他の時代のですけれどもいろいろね、調べて楽しいなって言ってたら、いろんなご縁があって、いろんな皆様のね、お力添えがあって何か本を出せることになったんですよ。
ありがたいことに、ここに出てるのが僕、房野史典の拙著でございます。はい。
皆さんから見て右は共著というもので河合敦先生と一緒に書かせていただいた、こういうものがございまして、いきなりすいません、ちょっと宣伝めいたものになりましたけれども、宣伝めいたものの、ついでに新作も出ていますので、今度江戸時代ということで、頑張った15人の徳川将軍、皆さんも15人、言える方ってなかなかいないじゃないですか。
あいつ何やっていたんだ?ていう将軍もいるんですけど、これがよくよく調べると面白いと、そういう15人の徳川将軍を通して江戸時代をわかりやすくお伝えした本、出しておりますのでよかったら…大体こういう講演会とかってね、注意事項で携帯電話をマナーモードにしといてください。音が出ないようにっていうじゃないすか。大丈夫です僕の講演中は、著書検索してください。
全然ね、もう調べていただいて構いませんので、はい房野の話はね、自己紹介はいいんですよ。
今日は何を言ってもこちらでございますね。
講演タイトルを行きましょう。

雪舟サミットin井原市「超現代語訳 画聖(がせい)雪舟」です。よろしくお願いします。ありがとうございます。
さあ何といってももちろん主役は当たり前ですけど雪舟等楊。こちらの方を紹介していこうかなと思います。

でもですよ、もうちょっと、僕ビビったんですよ、最初このお話何ヶ月も前いただいたとき、雪舟のお話どうですか?って、ありがたいです。やらせていただきます。ってそこから1、2ヶ月経った頃かな、房野さんプログラムが出来上がりました。ありがとうございます。って言って、宮島先生というもう美術の専門プロの方が喋られて、その後に市長が喋ります。それの後です。それの後…?
こんな歴史好きのアマチュアが、絶対最初の方がいいのに、もう全部出し尽くして後に喋ると、だから今日、今から喋ることは、ほぼ皆さん知っていますよ、本当に覚悟しといてください。でも雪舟等楊本人でもね…あんまりここには歴史好きの方ばっかりじゃないですか。だからちょっと、こんな感じだったんだよ、雪舟さんの人生というものを、ものすごく簡単にインターネットとかご覧なることありますよね。あとマンガ日本の歴史とか漫画に載っていた雪舟の人生をばばばって紹介します。
インターネットとか漫画ではどう描かれているか。先ほども総社市長、面白かったですね。やっぱ緑のジャケットを着ていると、面白いっすね。本当に、素晴らしいあのダジャレはすごかったですね。
岡山県総社市生まれということで、幼い頃お寺に入ります。雪舟なんていう人で宝福寺、先ほどもありましたが、何回も丁寧に説明していただきました。涙を流してねずみを書いたら、まるで生きてるかのようだった。

それで住職びびったよ、というあの伝説逸話が生まれたのはここでございます。
宝福寺、とにかく絵を書くのが好きだった雪舟さん、和尚に怒られてもそれぐらい続けて、ずっと絵を描いてたら、やがてちょっと成長して、まだ子供ですよ。まだ子供ですけれども、京都に行くんですよ。

相国寺、これ知ってるよ、という人。これすごい寺なんですよ。室町幕府です。
当時は、今でいう政府ですね、今の政府みたいなものがこの禅寺がすごいって、ランク付けた五つのがあるんです。
OKですか、この寺がすごいといった五つの寺、京都五山と呼ばれてます。それの一つが相国寺。そういう由緒ある寺に雪舟さんは行くわけですね。
そこで、春林周藤というこれまたすごいお坊さんに禅を習います。この後、これ覚えといてほしい。皆さん、天章周文という人、OKですか。周文!
この人もお坊さんなんですが、絵がとんでもない!
その室町幕府の人から注文を受けて描くような、もう政府が認めたようなお坊さんが雪舟のお師匠になるんです。で、絵を習うと習っていたら、雪舟さんやっぱり、元から好きだし、ぐんぐんうまくなっていって、京都で名声を獲得していく。ようは人気者、絵であいつすげえなってことになってくるわけですよ。OKですか。

でも雪舟はね、それでも自分に厳しいんです。

いや違うと、もっと私は絵を極めたい、修行を積みたいんだ、そういう思いに駆られるんですよ。じゃあどうするか、違う!京都にとどまっていたんじゃ駄目だ。このままじゃ自分の知見が広がらないっていうことで、いろんなものを体験、経験するために、なんと京都に出るんですね。ご存知の通りこの雪舟さんかわいいね。

山口県に行くんですよ。さきほどね、益田市長もおられましたけれども、山口県に行って、ここで絵をストイックに探求していくと、大内さんというとんでもない力のある大名の庇護のもと、現代ふうに言えばこの大内という大名がパトロンになってくれたんですね。雪舟のパトロンになってくれて、ずっと絵を描いていた。それが10年ぐらい経過したとき、すごいですよ、雪舟それでもうある程度の地位を得ていて、有名人なのに、これに止まらないんですよ。もっと絵を極めたい、このストイックな感情の後、雪舟はこんなこと思うんですよね。

違うぞと、これ僕、水墨画の本場で学びたい。本場、そうなんですよ、中国で雪舟なんと、この思いだけを胸にね、「明」当時の中国に旅立つんですね。
短い期間、およそ2年3年いなかったぐらいかな。

2、3年の間にガーッと、その本場の技法を盗んで学んで、日本に帰ってきて、それでも飽くなき探求が止まらずに日本各地を放浪しながらですね、そのうちに名作傑作と呼ばれる、絵をどんどん書いていったわけですよ。
パンフレットにも書いてありました。

これ、今出ているまさにこの6点が、なんと全て国宝に認定されてます。
個人が生み出した作品で、6つが国宝になるなんてことはもうなかなかないわけですよ。
6点が国宝になっている、まさに画聖と呼ぶにふさわしい、それが雪舟等楊という人です。どうです、OKです、大体わかりました。
すごいですね。ありがとうございます。嬉しい、嬉しいけどここで拍手やったらもう終わらなきゃ駄目だよ。ありがとうございます。
ちょっといきなり皆さん、全く違う話しをしましょうかね。
歴史の話は歴史の話だけど、この絵、知っています?
これでピンと来た人は、もうめちゃくちゃ歴史好きよ、わかった人います。
おっ?ちょっと、チェックの男性!何でしょう?
マジで正解?あなたは友達になれそうだな、そうなんですよね「長篠の戦」戦いって聞いたことあります?
主人公織田信長、今「どうする家康」やっているでしょう。
大河ドラマ、あれちょっと前でもありましたけど、教科書に必ず載っている戦い、鉄砲めっちゃ使ったっていうイメージありません?
信長と徳川家康がタッグを組んで、あの強敵武田軍「ぱっ」とぶち当たった、それを倒したのは何かっていうと、鉄砲だったっていう話ですよ。
ここ出てますよね「三段撃ち」これ聞いたことありますか?皆さん、3000丁用意したんですよ、鉄砲でどうしたかというと信長、当時の鉄砲っていうのは火薬詰めて弾込めてってやったら、どんだけ訓練した兵士でも2、30秒かかります。

そんなことやっていたら馬が突入してきてやられちゃう、その間をなくそうっていうので、信長は1000人1列、1000人1列、1000人1列並べますよ、3000丁を用意しているから全員に鉄砲を持たします。
整列させた鉄砲隊に「放て」って号令をかけたら1列目1000人が打つ、そしたら後ろに回って、2列目が前に出てきてドーンと打つ。わかりますよね。
後ろに回るたびに準備しているんですよね。
打ったら後ろ行って準備、打ったら後ろ行って準備、このローテーション攻撃で2、30秒の間を埋めてドンドン鉄砲先ができた。これが「三段撃ち」という戦略でございます。
ちょっともう1個、関係ない話をしましょうか。これ知っています?
「鵯越の逆落とし」って聞いたことある人います。これピンとこない、くる人いるね。源義経は知っていますか。

義経が崖から攻撃しろって言ったの知らない?それなんすよ。
「鵯越の逆落とし」要は平家と戦ってる、そのときにどうしよう義経!よし、奇襲だって考える。その奇襲のやり方を、「おい!みんな崖を降りる」って言って、みんなが「やめよう!」って言って、崖ですよ。
「こんな下りれないよ」って言って義経が何て言ったか「シカやイノシシが普段そこを下だってんだ」と。
「俺らが乗っているのは何だ、馬だろう、騎馬が下りないわけないだろ」って言って、無理から80騎の騎馬を連れて崖から「だだだ…」って言って平家そこで玉砕したという、それが「鵯越の逆落とし」という。
もう1個だけ見てみましょうか?これ雪舟よりだいぶ後の時代、幕末、坂本龍馬知らないよって言う人いないですよね。もう歴史上の人物でもNo.1、2を争う人気人物。
この人は昔から視野が広かったね、何やったかっていうエピソードでこの亀山社中っていうグループを作ったんですよ。これ何やったか。
外国の人から鉄砲を買って武器を買って、それをまさに山口県にね、長州っていうところにこの武器を流したと。言ったら、今で言う商社、これ日本初の商社と言われてます亀山社中。

すごいよねっていう話が今、三つ出てきましたけど、これね、全員英雄です。
英雄以外に、共通点があるんすよこのエピソード。わかる人います?
はい、ではお姉さん。暗殺された? 全員本当だ?
全然想定外でしょう。 あ!そうだ?
全員殺されてますね。かわいそうに。うん、すごいいいですね。人物は確かにその共通点。
僕が今ね言いたいのはね、エピソードでございます。答えますね。
このエピソード今ね、全部嘘だと言われてます。

「三段撃ち」もなければ「鵯越の逆落とし」もない。「亀山社中」もないんです。
これ嘘っていうとちょっとね、あまりにも直接的すぎるけど研究が進んで、このエピソードっていうのは、「三段撃ち」もないし、ひどい「鵯越の逆落とし」も義経がやってないし、崖もそんなに急じゃなかったみたいな言われてます。と亀山社中、これこそ後世の作りもんっていうふうに今なっています。
ただ僕、今この英雄たちをおとしめたいわけじゃないですよ、彼らはそんな伝説がなくても、本当にやったことの方がすごかったよ。っていうの、ちょっと後に言いますね。この後出てきます。この話を踏まえて、雪舟さんですよ。
説明しましたよね最初、これどこまで本当なの?

どれが本当でどれが嘘。雪舟さんに関する資料っていうのはあまり多くないんです。だから、ちょっとなかなか調べがつきにくいんですけど、先ほど素晴らしいお話をしていただいた、宮島先生や他の美術史家の先生方が苦労して調べてくださって、今、雪舟の実態が何となくわかってきたので、僕はそのお力を借りて若干お伝えしますね。
それではまず、この疑問です、雪舟はなんでこんなに有名っていう話ですよね。
生まれたのはマジで、今から600年ぐらい前ですよ。それで600年前の人が、今の令和の時代までなぜこうやって有名なのか。もちろん、絵がうまいっていうのは大前提ですよ。大前提だけど、雪舟のいた室町から今の令和の時代の間に雪舟の良さを伝えてくれた人たちがいるわけですよ。それが誰か!
狩野派っていう、どうですか?聞いたことあります?
狩野派、聞いたことなくても、この絵は見たことありませんか?どれか。
どれも見たことないっていう人は、学校で何やってたのって話。
国宝とか重要文化財にも認定されているような絵を描いていた絵画集団です。
これどう、教科書に絶対出てきたでしょ、徳川家康の肖像画を描いて、狩野派の1人でございます。その絵画集団どんな人なんだい?って言うと、まさにこの徳川家康の時代、いいですか、室町時代の途中からグイグイと台頭してきて、江戸時代になると、幕府の御用絵師、つまり、江戸幕府が「お前らにもう絵は注文するよ。」って言って幕府のお抱えになった絵画の集団、近世の絵画世界で最大の勢力を誇った一族を狩野派っていうんですよ。

その狩野派が雪舟マジすげえって言ってたんです。雪舟こそ先生、雪舟が師匠だって、すごい絵画集団が雪舟のことをすごいって言ってた。
だから、明治になっても大正になっても昭和になってもずっと雪舟の話って残ってるんですよ。
まさにこの狩野派の中の1人が「本朝画史」っていう書物残してるんですね。

これ簡単に言えばいろんな絵を書いた人の伝記が載ってるんです。
その中にまさに、雪舟のエピソードも入ってると、これよくよく見たら、漢字ばっかりわかんないと思いますけど、雪舟って時もあるし、どうとか、縛るとか、膝下鼠みたいのが出てくるんすよ。
だから、まさにその「本朝画史」に、あの涙で鼠描いたよっていうエピソードが載ってるんですね。こういうふうにやっぱ、すごい人たちが雪舟のことをアピールしてくれたから、今まで残ってると思います。でも、ちょっと疑問に思いません?
でも、江戸時代に出来た書物なんですよ。その狩野派は何をもとに、雪舟のエピソードを集めたの。そうなんですよ。
雪舟と同じ時代に生きた、要は室町時代に生きて雪舟のことアピールしてくれた人がいないと駄目でしょう。いるんですよ。
雪舟のことを同時代に生きて、雪舟すげえ雪舟のやってることすごいよってアピールしてくれた人物が1人いるんですよ。それが誰か、雪舟なんです。
ヤッホーつって、雪舟が自分でアピールしてるんですよ。よろしいですか。
どういうことか、これ例えて出しましょう。

この帽子、皆さん違和感持ってください。これ雪舟自画像、自分で描いた絵なんですけど、よくよく考えたらね、昔のお坊さんの絵ってね、こういうのだったり、あと、こういうのだったり、大体何にも被ってないでしょう。絶対この頭を出してるか、もし、被っていたとしても何か布です。
大体、これ何?これね、ピンとこないのも当然なんですよ。
これ中国のお坊さんが被る帽子なんですよ。鳥紗帽(うさぼう)と言って、何回も出てきました「明」に行った。中国に行った。という話がありますよね。
雪舟は中国行ったときのお帽子をこうやって描いて、後に残る自画像にまで自分が被って描いてるんですよ。
当時の中国全盛期は過ぎてるけれども、それでも日本人は、例えばお坊さんだったら、あの寺がすごいな中国のとか、あの絵がすごいなと絵師は憧れを持っていたのが、やっぱり中国っていう地なんです。
だから、雪舟は、それとなく帽子をかぶって、私は中国行きましたよと。ちゃんとアピールしてるわけですね。
現代ふうに言えば、アメリカとか行って、大学卒業したら、こういう帽子あるでしょ。だから日本に帰ってきて「みんなで写真撮るよ」ってなったとき、ちょっと待って、「これ被らせて」っていう、そういうことを簡単に言えば、雪舟はやってるってことですよ。誰かと喋ってるのはこれですか?って言って、「私中国帰りなんですよ。」ってアピールをして、多分相手も「いや別に聞いてないです。」なんてこと言ったでしょうけどね。
それわかる想像ですけども、ただ皆さん、今おちゃめに言いましたけれども、雪舟この帽子以外にもえらいものを持って帰ってきています。

それが聞き馴染みないと思いますけど、「天童一座」これ、ものじゃございません。
これ何か?天童っていうのは中国のお寺で、天童寺というところがあります。最初に言いました。
京都五山で出てきたのを覚えてます?
相国寺っていうの、あれもちろんモデルがあるんですよ。それは中国が五山を決めてたんですね。
その五山のうち、要は中国のお寺でこの禅寺がすごいっていううちの一つが、天童寺というすげえ寺があったんですよ。
雪舟はそこに行ったんですよ。見に行ったときそれで行って、第一座ってこれ、ちょっとこれ見りゃピンとくるかな、首座(しゅそ)とも読むんですけど、1とか首っていうので何となく想像できることないです?
天童寺の要は、リーダーになってますよ。すごくないですか?

天童第1座、日本から行った雪舟が、ここのすごいお寺のリーダーになったんです。
でも、天童寺には住職がいますよ。もちろんいるから次に偉い人、次に偉い地位を持って帰ってきているんですよ。
これすごいですよね。と、言いたいところなんですが、これ、形式だけのものです。
どういうことか?だって雪舟行って2、3年なんですよ、ここでずっと修行していたらわかりますよ。もらえるの?と、ポンと言って、ポンともらえる地位じゃないんですよ。要は、ここへ来て「うわー日本からはるばるよく来てくれたね。あなたにはプレゼントしましょう。天童一座っていうポジションを」っていう感じのもの、よくあのタレントさんが、あの博物館とかの名誉館長とかになるのを見たことありません?
ほぼあれです。ほぼあれって言うと、言い過ぎですけど、ああやって、よくぞ来てくれたっていうので、もらってるんです。
でも皆さん、もらったのは嘘じゃないでしょ、もらったら嘘じゃないからこれ見てください。
雪舟落款ってわかります?サインとか判子押すんですけど、形だけのものでも、もらった。嘘じゃねって言って雪舟をアップしますよ。ちょっと見てください。
天童第一座だってちゃんとね、名乗るんですよ。
「でも私はもうそれをもらったんですから」って言って、「でもちゃんと中国帰りなんで」っていうのをアピールするんですね。相手も「いや別に疑ってないですよ」って言ったでしょうけれども、この今見ていただいたこの左の方、これバーって文章書いてるでしょう。これ雪舟が書いたんです。
「破墨山水図」っていう国宝があるんです。

それの上にパーって書いてあるんですけれども、これ何書いてるか?紫の部分、これまず説明します。

「私にはね、宗淵という弟子がいるんですよ。鎌倉の人で、今度鎌倉に帰るというので、ものすごくここで、自分のもとでね、修行して頑張っていい感じになったんで、帰る」っていうときに、この弟子が私に言うんです。「先生私も帰りますから、どうか絵を描いてください。一筆したためてくれませんか?」って言って雪舟に頼まれたと。もう私ももう70才超えてますから、もう気力も萎えて、もう目もかすんでね、もう無理なんだよって。ただ、あんまりにも言うから、ちょっと今から絵を描きます「一筆もしたためたよ」っていうことをここで言ってるんですね。
その後、半分以上嫌々ながら書いた雪舟、半分以上2分の1以上、ワーッとあと何描いてるかっていうと、雪舟の自慢話が書いてあるんです。
これ、嫌々ながらも雪舟は何書いてたんだっていうのを、ちゃんと最後天童第1だって書いていますけど、これじゃもう自慢話っていうのも言い方あれですけれども、何となくもう予想つきますよね。
これ最初何書いてあるかアップしてみましょう。

これ「余、かつて大宋国入る」(余曽入大宋国)って読むんですけれども、要は「私が中国行ったときね」っていう話なんですよ。
また中国行ったことを、ちゃんとアピールしている。
このある美術史家の先生によれば、この文字ね。入るっていう字、大きすぎるだろうと。「中国行ったよ?」って言ったのが、場合によっては、これ2度書きしてないか?
といって、「ものすごい気合入れてるぞ?」と私は行ったんです。って言って、さあこれで、がっと書いているんですけれども、ここに、雪舟が自分のプロフィールで言いたいことを、全部詰め込んでます。
私は中国行ったとき、いろんなことを学ぼうと思った。
でもなかなか先生がいないんだよ。で、李在とか梁漱溟っていう人を捕まえて、いろんな技法を教えてもらった。
ゲットしたんだけど、それでもなかなか良い先生見つけるのは難しいな。
そう考えると、私の師匠であった「周文」最初出てきましたね、キーパーソンといったこの周文!周文はすごかったなと。あの人はすごかったし、その上のまた「如拙」っていう人、これは周文のお師匠さん、つまり雪舟から見ると師匠の師匠、周文は如拙もすごかったなっていうのを言ってるんです。この文章で、これをまとめると、何が言いたいか!私、雪舟は相国寺という幕府が認めたとんでもないお寺で学び、如拙、周文という絵の王道、その系統を受け継ぐものです。なおかつ「明」にも行っちゃってるって、いうふうな感じ。

今まで見てた通り、雪舟はね自己アピールがすごいんですよ。
もう彼はもうグイグイ前に出てきてね、こういうことを伝えたら何となくちょっとイメージ変わりますよね。自己アピールがすごいってもう、いつの時代にもいるんです。
例えば、豊臣秀吉はご存知ですよね。
この人もすごいアピールするわけですよ。自分で言うのもあれですし、よく横にいる書記、右筆(ゆうひつ)っていうけど、に書かせた書物とかが残ってますと、最終的に秀吉ってのは、私天皇の隠し子です。なんてこと言ってますからね。全員から嘘つけって言われてますけど、そのくらいのどの時代にもアピールをする人っていうのはいると、これ今も昔も、自己アピールすごい人の中にね、共通する点として、コンプレックスを抱えてる人が多かったりするんですね。例えばどうでしょう。
秀吉なんてわかりやすくありませんか。彼のコンプレックス、出自が低いんです。
身分が低いから、だからやがて私は天皇に連なる血族だよ。みたいなことを言っちゃったりする。
雪舟はどうか?いや、雪舟は別? 嘘はついてないけれども、そうなんですよ。先ほど宮島先生のお話にもありましたよね。京都では知客というね、全然低い身分だったんです。接待係みたいな感じでね。だから出世をしてないんです。
そしてもう1個付け加えると、何回も出てくるこの周文師匠、周文の絵。これが周文の絵なんです。残念ながら周文さんの絵っていうのは、これが周文っていう確定しているものはないんです。1枚も。多分、周文の絵だなって言われてるのが何枚かある。

そのうちの1枚がこれ。どうですか?ぱっと見て、侘び寂びあるでしょう。
線が細くて余白があって、すごく繊細な感じで、なんかいい感じでしょうね。
要はこれが師匠の絵なんです。イコール、当時の都の流行です。京都でこれが流行っていた。
かたや当時雪舟、どんな絵を書いていたか見てみましょう。

こういう感じなんですよ。
僕も皆さんもそうですけど、雪舟の好きなとこって力強いじゃないすか。
なんかもう墨が“カッ”と前に出てくるいろんなものが“カカッ”と重ねて迫力がある、訴えてくるものがあるっていうのが、雪舟の良さなんですよ。
いいんだけれども、当時の流行ではないわけですよ。だから、おそらく禅の世界でも出世できてない。そして、当時の流行の絵も自分的には描けない。
宮島先生がおっしゃったように、頭打ちを食らってるんです。
京都では何にも無理だからネットや漫画で載ってる、京都で名声を獲得して、これはね多分ね。嘘なんでしょうね。
だから、そうなると、「もっと絵を極めたい!修行を積まないと!」っていうこの動機あったでしょう?
これ、嘘でしょうね。
もう泣かず飛ばずなったから新天地を求めて山口行った。というような挫折を味わって、彼は山口県行ってる。あれちょっと待ってよと、そうなってくると、これ怪しくないですか。
本場で学びたいってなんか少年のような心だけで中国行きやがって、行きやがったじゃないよね、言ってますけれども、あれ、なんでこれ中国行った?
これはね、パンフレットにもちらっと載ってますけど、雪舟の乗った船を見ればわかりますよ。遣明船(けんみんせん)知ってるよって人いる?

これなかなかいないですよね。
遣隋使って聞いたことあります?
遣隋使になると上の遣唐使は?遣唐使は知ってますでしょう。
それの「明」バージョン、要はこのときも遣明使っていう使節がいたんです。
それが乗る船が、遣明船、要は幕府が出したオフィシャルの船で、何がやりたいかっていうのは、これ足利義満、一休さんに出てくる将軍さん。が、日明貿易って言って、もう明と貿易して儲けたいぞ?って言って始めたのが、この遣明船の派遣のスタートだから、幕府が出した正式な船に乗って貿易をするっていう、その船に雪舟は乗って、行っているんですね。
これでも、幕府が出してる船なのに、何で山口にいる雪舟が乗れたの?って話です
ですけど、このパンフレットで、出てきました。「応仁の乱」ってやつね。

もう日本の武将が東軍西軍にわかれて戦って、「がっちゃんこ、がっちゃんこ」やって、まさに雪舟が「明」に渡るぞ?っていうちょっと前にこの大乱が起こっているんですよ。京都がもう焼け野原になるぐらいすごい。
ここで何が言いたいか、要はそんな大きな戦いが起こるぐらい幕府の力ってもう、がったん、がったんです。すごいパワーが落ちていた。
だから、スポンサーが幕府1人じゃ、要は今風に言えば、会社1個だけじゃあ船出せなかったんです。
1社じゃ無理ってことで、有力なお寺や神社、寺社、いや、有力な武将とかがスポンサーとなって船を出しました。
そうすると、船がこのとき三つになっていたわけですね。

1個は幕府の船「幕府船」と呼ばれるもの、もう1個は有力な大名が出した「細川船」というもので、もう1個は「大内船」という。
やっと繋がりましたよ。
そう雪舟のパトロンであった大内さん、このときの当主は、大内政弘って言いますけれども、この大内さんがもう「応仁の乱」西軍のメインに主力になるぐらい、でっかい力を持っていたんです。
それで遣明船を出せるぐらいのスポンサー力があった。だから雪舟はこの船に乗れたっていうわけなんですね。雪舟が「明」に渡ったあれに繋がりますよ。
大内さんが船出したのは何ですか。なぜですか?
貿易したいからですよね。つまり利益が欲しいからなんですよ。何も雪舟を勉強に行かせるために船出してるわけじゃないんです。利益が欲しい、貿易をして利益が欲しいからやってるわけです。それに乗った雪舟には、任務があるんですよ。やらなきゃ駄目なことが、よろしいですか。
仕事を請け負って行ってるんです。だから、この少年のような心で水墨画の本場で学びたいっていうこの動機で、中国に渡ったわけじゃないんですよという話。
さあ、ここまで雪舟のいろんなちょっとあれ、ちょっと雪舟いろんなとこ違うかなっていう話をしてきましたけれども、それでも「明」にわたった雪舟、仕事はあったでしょうけれども、多分心の中でね、絵画を学ぶぞっていう、このモチベーションは多分あったでしょうよ。
今までちょっと何となく雪舟、いや、ちょっと違うよ、ちょっとお茶目だよ、ちょっとこんな部分あるよみたいな話を面白おかしく、ちょっと伝えてきましたけれども、あとの残りの何分かありますけれども、ここからは今までの話をちょっと回収するように、やっぱり雪舟ってすごいっていう話に入ってきます。
さあ、与えられた任務、これぶっちゃけて言うと何を与えられたかわかってないんですよ。でも、おそらくその状況証拠からするに、こういうことを、雪舟は任務として与えられ出たんじゃないかって言われてます。
一つは、当時の将軍が唐物を欲しがっていて、それを買ってくる。唐物っていうのは、要は中国の絵画とか工芸品、これを買い付けると、生で行ってその買い付けを担当したのが雪舟で見極めなきゃ駄目じゃないですか、美術品をこれいいなとか、これ駄目だなっていう、その選定に当たったのが多分雪舟だったと。
だから雪舟は中国のリアルな美術品を生で見て生で体験して生でインスピレーションを受けてんですよ。
これが多分雪舟にめちゃくちゃ良い影響を与えたんじゃないか、と言われてます。
もう一つは、雪舟に与えられた任務、おそらく、中国のリアルをビジュアルに伝えること。
当時、スマホもなけりゃ写真もないんですよ。それじゃあ、向こうの情報をどうやって手に入れんの?絵しかないでしょう。おそらく雪舟を明に行かせた大内正弘は、中国の情報が欲しいとどうするか?絵がいるんだよ、っていうことで雪舟、絵を描いてきてって多分頼んだんじゃないか。
それがおそらく証拠と言われてるのが、これなんですね。雪舟がまかれたと伝わってる「唐土勝景図鑑」(とうどしょうけいずかん)と「国々人物図鑑」(くにぐにじんぶつずかん)というこのぱっと見で、皆さんわかる通り、見て書いてるんです。風景とか、人物を今風に言えばスケッチと、デッサンしてんですね。

だからブワッて雪舟が見た風景を描いているんですよ。それで、人物見てデッサンしているんですよ。
何がすごいって、この当時、スケッチって画期的なんです。
どうですか、皆さんも小学校のときとか、何か図工の時間絵を描いたことあるでしょう。なんか消防車と描かなかった?ちっちゃい頃から見たもの描けみたいな。
あれってね、この時代のこの絵師やってないんです。
スケッチなんて画法使ってないんですよ。
ちょっと待って、今までこういう山水図見てきたじゃないですか。これ何?って言うんですけど、これね、「胸中の丘壑」っていうんです。マジ聞いたことないでしょう。
何これ?って話じゃないすか。
実はこの当時、山水画を描く人、水墨画を描く人って、ある風景を描いていないんですよ。
「ぱっ」と見た山や、川や、谷は見て、ああいいなってインスピレーションを受けて自分の中で咀嚼するんです。
それで、その受けたインスピレーションを咀嚼して自分の理想の山や谷を描く。山や谷のことを丘壑っていうんです。
「胸中の丘壑」っていうのは自分の理想なものを描いてるので、こんなありえないんですよ。

現実には、さっきの大江小学校の子供たち、描いていましたよね。
それで、先生が自分の思い思いのとか想像したものを描きました。とか、思ったものを描いたって言っていたじゃないすか。あれ正解なんですよ。
水墨画って見たものを描くんじゃないんです。
胸中の丘壑を描くんです。
だから、見たそのままを描くという手法、技法に使っていないんですよ。
ところが雪舟は任務がありますから、見たまんまの情報を取り込んだんですよね。

だから、今までにない技法で、大内政弘のために、これこういうのがあります、こういうのがありますって言って、情報を細々と書いた。
この技術、今までなかった新しい技術を雪舟が伝えて、後のオリジナリティに繋がっていたんです。ここでスキルアップがぐんとなされてんですね。
それで、中国行った雪舟こういう画を描いてるんですけれども、これ実際あと3枚あって4枚あります。何がすごいってこの印鑑が押してあるんですよ。
それ、所蔵印といって、持ち主の印鑑なんです。描いた人じゃなくて、その所蔵、持ってる人の印鑑、誰のかっていうと、中国の王家ものです。
雪舟が行ったのって二、三年なんですよ。
そんな短期間で雪舟の才能がばれて、「ちょっと描いてよ」って言われて、中国の要は皇帝の親戚が雪舟に注文して、それを描かして雪舟はそれ献上してるんです。
とんでもないでしょう。
こんなことできてるの雪舟ぐらい。よろしいですか、任務というものがありながらそれをこなしながら雪舟は、そのスケジュールの中で自分にインスピレーションを与えるものをどんどん取り込んでいって、デッサンやスケッチっていう新しいものにも果敢に取り組んで、最終的には、王家に献上するような絵まで描いて帰ってきてるんです。
こんなことをやったのは、この雪舟の前後にもね、中国に渡ったが人っていうのはいるんですけど、足跡を残して帰ってきたのは雪舟だけなんですよ。
これすごくないですか。
さあ、雪舟こうやって中国行って、すごい功績を残しましたけれども、やっぱり中国でインスピレーションを受けたからって言ってパンと爆発したわけじゃないです。
それまで山口とか、京都、いろんなところで学んできたその努力っていうものが重なって、中国でその大爆発を起こしたと。
挫折って言いましたよね、京都から山口行ったのって。私はでも思います。
こっからは、もうただの個人の感想に入ってきますけど、最終的な挫折、確かにこれ、人から見れば挫折かもしれないんですけれども、日本人ってどうでしょう?

真面目なとこありますよね。与えられた場所でうまいこといかなかったら、自分の努力が足りないんだ。とか、周りからお前もっと頑張れよって言われて、そこで頑張らなきゃなっていうこと多くないですか。
私、自分のことはわかんないですけれども、僕結構な芸歴になりまして、吉本興業で何年もやってます。
そうすると、いろんな芸人、いろんなタレント、なんなら企業の社長とかとも関わったりするんですけど、その人らにね、全員が全員じゃないですけれども共通するのって、場所を変えるんですよ。すぐ。OKですか。
全然そこで頭打ちくらったら、軽くポンってね、場所変えれるんです。
それは本当のリアルな場所もあるし、ジャンルを変えたりもするんです。
そういう人がね、成功するのに、早いルートを見つけるんです。
雪舟どうですか、これは駄目だなと思ったらもちろん本人的にはいろんな苦労があったと思いますよ。場所変えてるんですよ。京都にしがみつかなかった。
これ本当にすごいなって思うんです。
そして、このめっちゃ、僕ちょっといじるような感じで言いましたけど、自己アピールがすごいっていう話をしましたよね。
自己アピールがすごいっていうの、これなんか、これもまたね、なんか自分で言うのってあれじゃんってみんななんか思うじゃないすか。
これでも一番必要だと思うんです。
クリエイター、才能ある人多いんですよ。
作る人って天才と言われる人多い。
でもね、全員が全員じゃないけどこれも、クリエイターに共通する1個ね、なんて広告宣伝が下手なんです。
自分は作品を作る、これだけできれば大丈夫だっていうような感じで頑張るんだけれども、それ用に知らしめる方法があんまりない人が多かったりするんですね。これ一例わかりやすい例か。
ジブリってご覧なったことあります。
宮﨑駿、多分天才ですよ。
宮崎駿さんが広告上手いか下手か知らないですけれども、彼の横には鈴木敏夫っていうやっぱ名プロデューサーがいるんですよ。
そうやってみんなに「ガッ」って伝えるその力を持ってるからこそあの二人三脚で、亡くなられた高畑勲さんも含めて、あんだけ有名なことになってる。
絶対広告いるんです。
どんだけ才能があっても世に知られなきゃ意味がない。
どうですか雪舟、自分でやってるんですよ。
こんな天才いないですよ、クリエイターもできて、私はこれだけのことをやりましたって自分で言えるっていうのは本当にすごい才能です。
雪舟これもやったっていうのが、僕一番好きな部分ですね。
最初にも言いました、英雄たちって、こうやって伝説とか逸話あります。ね!こういう伝説逸話って入りにはいいんですけれども、本当に彼らがやったことってこんな派手なことじゃなくてね、めっちゃ地味なんですよ。
よくよく見てみると、ただ地味だけれども、こんな伝説いつもよりよっぽどすごいことやってます。当たり前のこと。要はこれをやれば勝てるだろう、これをやれば成功するだろう。いや、逆に言うとそれをやらないと絶対失敗するっていうことをね、この人たちはただただ積み重ねてるだけなんですよ。
資料とか読んだらね、だから、本当の偉人の姿って本当にすごいんです。
だから雪舟も漫画やインターネット、いやそれは入りはいいんですよ。
素晴らしいエピソードいっぱいあるんですけれども、番外インターネットと言われている。ただ絵が好きだから、各地を放浪して絵が上手くなってのために生きたっていう雪舟じゃなくて、制限もあったし、身分差もあったし、いろいろな制約を課せられた状態で、それでももがいて生きて、ここまで国宝6点を残した。
そんな雪舟の方がどうですか?すごくないですかね。
そういう雪舟を皆さんに知ってもらえて、より今日、好きになっていただけたら、やった甲斐があったかなと思います。
というわけで、以上房野のお時間でございました。

「超現代語訳 画聖雪舟」でした。
ありがとうございました。




