重要文化財「益田兼堯像」
(益田市立雪舟の郷記念館所蔵)
益田氏
雪舟が活躍した時代に益田を治めていたのは領主・益田氏で、室町時代の当主・益田兼堯は雪舟を益田に招いて萬福寺、崇観寺(現在の医光寺)で庭園を築かせ、また自身の肖像画を描かせました。雪舟の人物画は珍しく、雪舟と兼堯の親密な関係がうかがわれます。
益田元祥奉公覚書案
(部分。東京大学史料編纂所所蔵「益田家文書」)
益田家文書
安土桃山時代から江戸時代初頭の益田氏当主・益田元祥は関ヶ原の合戦後、毛利氏にしたがって周防・長門(現在の山口県)に移り、財政問題解決に活躍し、益田家は長州藩の永代家老家となります。元祥の活躍を孫の益田元堯が書き上げた古文書によると、元祥は雪舟筆の三幅対を二つも毛利家に献上しており、さらに雪舟が最晩年に益田に来て亡くなったと記されています。これは雪舟がどこで亡くなったかを記した最も古い記録です。