重玄寺鐘楼門
重玄寺鐘楼門
雪舟が没したと伝えられる大月山重玄寺は、嘉吉元年(1441)千畝周竹和尚によって開かれた臨済宗仏通寺派の禅寺です。重玄寺は創建以来数度の火災にあったとされ、昭和30年の火災では土蔵と鐘楼門を残して全焼しました。現在の寺院は昭和49年に残った鐘楼門と石門等を山裾の西吉井に移転し、再建されました。
雪舟終焉の碑
雪舟終焉の碑
地元では雪舟が芳井町天神山の重玄寺で没したと伝えられており、『吉備物語』や『東福寺誌』など近世地誌に「備中の重玄寺で雪舟が没した」と記されています。また平成8年には、重玄寺開山千畝和尚の語録『也足外集』の中に雪舟と千畝和尚に親交があった可能性を示す記述が確認され、井原市と雪舟を結びつける史料として注目されています。天神山の重玄寺跡は、昭和55年、芳井町指定の史跡になり、重玄寺跡雪舟終焉の碑が建立されています。