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第16回雪舟サミット
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第16回雪舟サミット サミット自治体リレートーク
司会>
ただいまより雪舟サミット第2部、サミット構成市長リレートークを開演いたします。このリレートークは「世界に向けて顕彰する雪舟の業績」というテーマで、国際的な視野で雪舟をいかしたまちづくりについて、雪舟サミット構成市長たちがディスカッションいたします。それではリレートークにご参加の方々、構成市の代表の皆様からご紹介いたします。まずはここ開催地、三原市長天満祥典でございます。続きまして、総社市長片岡聡一様でございます。井原市長瀧本豊文様でございます。益田市長山本浩章様でございます。山口市副市長伊藤和貴様でございます。そして防府市副市長村田太様でございます。さらに、本日のこのリレートークの進行はこの会場でございます三原市芸術文化センターポポロの館長、作田忠司様です。それではここからは作田館長にマイクをお渡しいたしますのでどうぞよろしくお願いいたします。
作田>
皆様、こんにちは。三原市芸術文化センターポポロの館長をしております作田でございます。第2部は構成市長リレートークということで、司会進行の役を務めさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。このたび雪舟サミットがこの三原市で、しかもポポロで開かれるということで、大変喜ばしく、光栄に思っております。といいますのも、皆さんご存じのとおり、今年は三原城築城450年の年で、お祭りがあって記念の年でございました。そしてポポロも今年が10周年なのです。ですからそういう機会に、しかもつながりが、雪舟と世界のつながりという大きなテーマでございます。ポポロにも世界各国からさまざまな外国のお客様、演奏家の方々が来られる、そういうことで深いご縁も感じますし、光栄なことだというふうに、この同じ場で世界に向けて雪舟の魅力を発信できる、そしてまちづくりに向けて皆様方と活発な議論をしていただければと思っておりますのでどうぞよろしくお願いいたします。構成市の皆様から、まず各市の現状、そして取り組み等を順番に発表していただいて、その内容をふまえて意見を交わしていきたいと思います。それではリレートークを始めさせていただきたいと思います。
まずこちら開催地の三原市長、天満祥典様からよろしくお願いいたします。
天満>
はい。それでは、皆さん、こんにちは。三原市へお越しくださいまして本当にありがとうございます。三原市長の天満でございます。私がトップバッターといたしまして三原市を紹介いたしますが、その前に、私がこの雪舟サミットに参加いたしましたのは、ちょうど隣に座っていらっしゃいます総社市長さんから声がかかりまして、参加いたしましたのが3回目でございます。いろいろと雪舟にゆかりがある、そういったところがあるとご指摘をいただきまして、ぜひ参加したらどうかというところから始まりまして、今日の3回目でございます。三原市におきましては、ここに出ておりますが、新幹線と在来線が一緒でございます。それから港がございます。それから本郷町には空港がございます。この3点が揃ったというのはこの中国地方、日本でもあまりないところでございますが、今日は竜王山と筆影山から見た瀬戸内海の景観でございます。よろしくお願いいたします。
そして、三原市の概要でございますが、合併をする前には10万2000人でございましたが、今は少し人口減少でありまして96205人でございます。面積は約471平方キロメートルのまちでございます。瀬戸内海に面したまちであり、筆影山、竜王山などから素晴らしい多島美を味わうことができます。国立公園でございますので、どうぞ三原市においでくださいますようにお願いをいたします。今年は小早川築城450年事業を、2月4日からオープニングをいたしまして、11月4・5日がフィナーレでございましたが、この雪舟サミットも瀬戸内三原築城450年の事業の中に入っておりますので、どうかよろしくお願いいたします。この雪舟サミットを盛り上げるためにたくさんのイベントが行われ、110以上のそれぞれの事業をいたしました。三原市、おおいに盛り上げてまいりましたので、それぞれ基礎作りができたと思いますのでどうかよろしくお願いいたします。
このスライドでございますが、この記念すべき年に、この450年の三原城と新高山城が続日本の百名城に認定されました。これらの城の歴史的価値が改めて認められたと大変うれしく思っております。
スライドの5番目でございますが、三原市を代表するお祭りに三原やっさ祭りがございます。今年は「歌って踊って450年、輝けやっさ」をテーマに例年以上に力を入れて盛り上げてまいりました。450年にちなんで4500人による総踊り、これに加え東京ディズニーランドのスペシャルパレードを呼び込み、相乗効果で例年以上に多くのお客様でにぎわいました。
スライド6でございますが、この夏には三原を舞台に本市のゆるキャラ、やっさだるマンを主役とした大森研一監督の映画が撮影をされました。ストーリーは三原市のやっさだるマンを盛り上げようと若者たちが奮起するというものでございます。この映画「やっさだるマン」は来年2月に予定されている三原と東京での先行上映ののちに各地の映画館で上映される予定でございます。ぜひとも皆様にご覧いただき、三原の魅力を感じていただきたいと存じます。
スライドの7番目でございますが、雪舟とゆかりを持つ佛通寺についてお話をいたします。佛通寺は西暦1397年に愚中周及和尚を迎えて開いたお寺でございます。臨済宗佛通寺派の大本山であります。佛通寺の境内は県内有数の紅葉の名所であります。また夜間、紅葉のライトアップを5時から8時まで今行っておりますので、今いちばんの見頃でございますのでぜひ見ていただきたいと思います。
スライドの8でございますが、佛通寺には雪舟が原画を描いたとされる「金山寺図」「育王山図」が所蔵されております。江戸時代初期に狩野安信が模写した作品でございます。本日から佛通寺では「曝涼展」を開催し、これらの作品や国重要文化財の「大通禅師像」などを公開いたします。ぜひこの機会に佛通寺を訪れてみてください。
スライドの9番目でございますが、佛通寺には雪舟作と伝わる庭園もいくつか残っております。この雪舟サミットや佛通寺の曝涼展開催といった機会をいかし、多くの方に雪舟とのつながりを知ってほしいと思っております。伝雪舟庭園、崑崗池とございます。
スライドの10番目でございますが、今回の雪舟サミットは雪舟と世界のつながりというテーマを掲げております。近年、三原市でも外国人観光客、外国人住民は増加傾向にあります。特にエアポートホテルのあたりは外国人観光客が年間5000人以上泊まっていらっしゃいますので、どうぞ三原市にもひっぱっていただければ、まだまだ三原市のほうは外国人観光客でにぎわうものと思っております。このリレートークでは、雪舟をはじめとする各市の資源をどのように国際的に活用できるか、構成市の皆様と意見交換をしたいと存じます。
スライドの11番目でございますが、三原市の国際交流や外国人旅行客の受け入れの事例を紹介いたします。ひとつ目に国際性豊かな人材を育てるため、平成8年からシンガポールとの少年少女海外研修交流事業を実施しております。本市の中学生の派遣やシンガポールからの訪日研修を受け入れております。世界に通用するまちづくりのためには次世代の担い手に世界の人たちと直接関わる機会を提供することが重要だと考えております。
スライドの12でございます。2つ目に、三原市はニュージーランドのパーマストンノース市との親善交流を進めております。市長が互いの市を訪問し、それぞれの市のスポーツや文化、教育などについて意見交流をしております。
3つ目ですが、今年の4月に三原から竹原市の大久野島への高速船ルート、ラビットラインの運行を開始いたしました。大久野島はうさぎが多く生息し、特に外国人観光客に大人気のスポットでございます。人気スポットへのルートを確保し、多くの人が三原を訪れるきっかけづくりに取り組んでおります。
スライドの13番目でございます。今後の三原市のまちづくりの課題を3点挙げさせていただきます。ひとつ目には雪舟をはじめとする日本文化の資源の再発掘をすることでございます。私たちのまちにどのような魅力があるのか、市民の皆様にもよく知ってもらわなければなりません。2つ目に、外国人旅行者が何を求めているか、分析することでございます。それによって情報発信などの方法も考えなければいけません。そして3つ目に、外国人旅行者の受け入れ態勢を整えることでございます。多国語表記の整備など、旅行者に対し、来てよかったと満足できるおもてなしを準備しなければなりません。こうした取り組みがリピーターを創出し、まちの活性化につながるはずでございます。以上の課題に取り組むことで、世界に向けたまちづくりができると考えております。
三原市の紹介は以上でございます。大変ありがとうございました。
作田>
天満市長、ありがとうございます。三原市の取り組みの中で、先ほども天満市長からご説明がありましたように、次世代の人材育成、国際交流、私たちはわりと自分のまちとか、自分の国もそうですけど、意外と自分では気づかないのですね。外部の視線を取り入れることで、そういった自分たちのまちの隠れた魅力、宝の発見もあるのではないかと思います。
続きまして総社市の片岡聡一市長によろしくお願いいたします。
片岡>
皆さん、こんにちは。岡山県総社市市長の片岡聡一と申します。僕、立ってでないと話せないので立たせてください。僕は雪舟が生まれた市として、この雪舟サミットに対して深い思い入れがあって、さまざまサミットの意味あいがあると思うのですが、まず第1点はやはりここにいらっしゃるこの6市、及び雪舟の関係者の方々が本当に仲がいいということ。結びあっているということがまずいちばん大切なことだと思います。これはやはり、根底にあるのはここに集まっている6市の首長さん、それぞれの市が愛し合っているということが大事だと思います。僕は天満市長のこと、好きですよ、けっこう(会場笑い)。それからここにいらっしゃる益田、井原、現役市長さんは当然のことなのですが、このあいだは山口市長、ご当選おめでとうございます。今日は副市長さんであります。それから防府市は、僕は防府市長は暴走族だと思っているのですが、今、全国市長会の会長で全国に燦然ときらめく松浦市長、本当に素晴らしいと思っております。この6人のチームワークがいいということがその関連市を結びつけるファクターになっていくべきだと思います。
それで、雪舟を伝承していく3つのテーマがあると思って、総社市、タクトを振っているのですが、ひとつはいわずとしれたアート。ビジュアルに雪舟の絵であるとか、生まれた場所であるとか、そうしたものを伝承していくということは市長としてとても大事なこと。もうひとつは雪舟の精神。気持ちということを伝えていくこと。国際交流であったり、絵に対する考え方であったり、慈悲の心であったり、その精神をつないでいく。それから3つ目、これはけっこう難しいのですが、雪舟を市民の中に、行政として埋め込んでいく。雪舟なんとかとか、雪舟テーマで、雪舟を行政の仕組みの中にワードであったり絵であったり、そういうのを埋めていく。この3つを、よその市は困っているんだろうなと思いながら、この6市が連携して、「そういうところが困っているのですか」とか、「なるほどね」というのが共有できればこのサミットの意味があるのではないかと僕は思っています。
まず、これは雪舟が若い時に修行していたという場所、宝福寺です。ここの先代の管長が東福寺の門跡管長を務めておりましたが、小鍛冶元慎さんという和尚が現在の和尚ですが、この白い壁の向こう側に雪舟が縛られていたとする柱があったり、なかったりするわけです。今、ライトアップしていて、ここが雪舟が若い時に丁稚奉公として務めていた宝福寺であります。
総社市の紹介ですが、今、人口が6万8000、もっと増えて500いくらかな。今どんどん妙に人口が増えていっていて、まあまあがんばっているかなというところでしょうか。
総社がどんなところかというと、左上が備中国分寺で、これは天武天皇の時代ですね。7世紀のもの。それから右下が鬼ノ城といって、白村江の戦といって朝鮮半島を日本が攻め入って、高句麗軍に返り討ちにあうのではなかろうかといって太宰府や日本のいたるところにディフェンス城を作ったのが鬼ノ城です。ですから、1620年の、中世の歴史の雪舟と、雪舟時代、応仁の乱のへん、それから7世紀の古代史、そしてさらに400年代の古墳がある。古墳時代、7世紀、平安京、そしてさらに中世の歴史を持っている歴史ロマンあふれる市だといえます。
雪舟の精神を受け継ごうということで、雪舟の慈悲深さというところを受け継いでいこうということで、右上でありますが、総社市人口6万8000人の中で障がい者を1000人雇用しようということで、6年前からコツコツ、コツコツやってきて、この5月に1000人を突破して、岡山県総社市は障がい者が1000人働くまちとなりました。
それから、雪舟なんとかを行政の中に取り込んでいくというのは、各市、まさしく、けっこう難しいことだと思いますが、よくありがちな雪舟のプレート、これはまぁどこでもありますね。それから右の雪舟まつり。これも雪舟の名前をつければいいことであって、まぁどこでもありますか。いちばん下が「雪舟くん」というタクシー。総社市内どこでも、6人まで乗り合いで、自分の家から行きたいところまでオール300円。タクシー業者に僕はリコールされそうになりましたが、総社市はこの車に乗っていけば、タクシー、ドアトゥドアで行きたいところまで300円ということです。これが「雪舟くん」という名前なのですが、これも賛否両論ありまして、雪舟に「くん」はいけないのではないか、やはり雪舟「様」でないといけないのではないかという意見もありましたが、市民公募で選んで「雪舟くん」という名前になりました。この車は、最初にスタートする時は先ほどいったリコールとか何とかあったり、バス路線をカットしたり、いろいろありましたが、やはり市民がどんどんこの車に乗ってくれて、最後はバス業者やタクシー業者ではなくて市民に守られたという施策です。今は1日平均250人が乗っているという、総社の足になっています。
雪舟の美術や雪舟の精神を伝えていこうということで、今、夏休みの子ども水墨画展、これは雪舟を模倣してやっていますが、実は平山郁夫先生がご存命であった時まではもう少し大規模に全国公募で総社市水墨画展というのをやっていましたが、平山委員長のご逝去とともに水墨画から子ども墨彩画展に変えたということです。かなり力作が毎年出てまいります。
それからチュッピー。皆さん、これ総社市の水、チュッピーウォーターといいますが、チュッピーがどれだかわからないと思いますが、こいつがチュッピーです。これは何かというと、子育て王国そうじゃのマスコットキャラクターで、雪舟が涙で描いたねずみが変化したのがチュッピーです。この子が全国ゆるキャラグランプリに去年出て、全国1714ゆるキャラのうち第3位になりました。秘かに、岡山県内、全国でライバルがおとなりの井原市のでんちゅうくんというのだったのですが、井原に勝ってうれしいなと思いました。この子が子育て王国の国王になったのが7年前なのですが、このチュッピーが国王になって子どもの出生数がどんどん増えてきた。それはなぜかというと、いろいろな伝説、レジェンドができてきていて、これ、しっぽにハートがついていて、このハートのしっぽにふれるだけで妊娠するというレジェンドができました。それで総社の水でチュッピーウォーターというのを作りました。これを飲むだけで妊娠したりはしませんから、ぜひ皆さん、ご愛飲いただきたいと思います。いろいろなところでチュッピーもなかができたり、チュッピードーナツができたり、これは雪舟が描いたねずみの化身なんだよというのが総社市民のあいだでは雪舟愛とともに息づいているというところであります。
今、外国人が増えていまして、これも雪舟効果というか、最初は、総社は三菱自動車の部品工場のまちが中心だったのですが、ラテンアメリカ、ブラジル、パラグアイ、アルゼンチン、チリ、ペルーが多かったのですが、今はどこの市でもそうかもしれませんが、ベトナム人が急激に増えてまいりました。岡山県の中でも人口の中で外国人が最も多い市ということになっております。多文化共生というのが僕の政治のテーマでもありまして、外国人とハッピーな地域コミュニティを作っていくということ、これはやってみてけっこう、外人を手なずけるよりも日本人、総社市民を手なずけるほうが難しいということに気づいたりしましたが、今は日本でもけっこう有名な多文化共生のまちになってまいりました。
これから600年祭で、雪舟生誕の地の公園を作ってまいります。今日はうちの市議会議長も来られていますが、この場で言ったということは作るということになっていこうと思いますので、前向きにやっていきたいと思います。最初、先生が講演の中で生誕地の墓標が2ヶ所あってひとつが岡山市分だと言っていましたが、あの地はもともと総社市分であって、区画整理でちょっと岡山市に入ったところなので、生まれた場所は総社市に間違いありません。ということです。
ご清聴ありがとうございました。これから、最初にいった3点もありますが、雪舟を模倣してまちづくりをやっていく、けっこう難しいテーマでありますが、この6市がお互いの情報を共有しながらこれからもがんばっていきたいと思います。ありがとうございました。
作田>
片岡市長、ありがとうございました。少し時間のほうが、私どものほう4時までということになっておりますので、引き続いていきたいと思います。では井原市の瀧本豊文市長、よろしくお願いいたします。
瀧本>
はい。では私は座ってやらせていただきます。ただいまご紹介いただきました岡山県井原市の瀧本でございます。本日はこの三原市におきまして、雪舟ゆかりの皆様が多数集って第16回雪舟サミットがこのように盛大に開催できますことを心からお喜び申し上げます。井原市でございますが、三原市からいえば、ご存じの方も多くいらっしゃるかと思いますが、広島県と岡山県の県境に位置していまして、これは市街地でございます。正面に見えるのが井原市役所でございます。これが中心部にあたります。そして先ほど三原・天満市長さんにご紹介いただいた、海に面しているということがうらやましいかぎりでございまして、総社さんもそうですが海には面しておりません。こういうような位置づけでございます。
井原市の特産品でございますが、これは井原のデニム。昭和45年頃にはジーンズブームが起きましたが、その折には関連企業が多くございました。江戸時代から高梁川支流の小田川という清流を持っていた関係で、藍や綿の栽培が非常に盛んなまちでございまして、そうした中で井原デニムということで非常に栄えたまちでございました。当時、昭和45年頃には井原で作ったジーンズが全国で75%のシェア、井原で作ったジーンズが全国の75%、それくらいの生産量を誇っていたというまちでございます。最近は非常に安価な外国産の製品が増えておりますので、今残った企業がヨーロッパやアメリカといったところへブランドの製品として展開をいただいていまして、これはこの3月20日に井原線の井原駅構内に井原デニムストアという新たにリニューアルいたしました。デニムのスーツであるとかデニムの着物であるとかそういったものもございます。また2階には井原のデニムの歴史を紹介するコーナーも設けておりますので、ぜひ井原へお越しの際にはお立ち寄りいただき、見ていただきたいと思っておるところでございます。
また、井原市は特に農産物におきましては、ブドウの産地でございまして、ニューピオーネ、瀬戸ジャイアンツ、シャインマスカットなど多種のブドウの栽培がされております。そしてもうひとつは明治ごんぼう、ごぼうのことを芳井町の明治地区ではごんぼうといいまして、これもデニムのブランド、ごぼうのブランド、野菜ブランドとして全国で名を馳せておるところでございます。
そうした中で、また一方では自然の景観といたしましては、美星町、井原市は美星町とも合併いたしました。美星は美しい星というまちでございますので、名前のとおり、星が非常にきれいに見えるまちでございます。これは民放の番組でございましたが、天文学者が日本三選星名所ということで指定いただきまして、日本で2.番目にきれいに見えるまち。1番は沖縄県石垣島、2番目がこの井原市美星町ということで、3番目は長野県南牧村というところでございまして、そうした中で今年も星イベントを行っております。夏には天の川まつりとか幻想的なまつりも行っておりますし、先々週にはそらそらガール、星を見る女性が非常に多いということで、星をイメージしたイベントを行っておるところでございます。そうしたアピールを行っております。
そして今日の本題でございますが、雪舟と井原市の関わりについて申し上げますと、京都にある、雪舟と関わりの深い東福寺の記録をまとめた東福寺史や吉備物語などの文献によりますと、雪舟が井原市芳井町にあります重玄寺で没したと伝えられております。私、先ほどの講演を聞きまして、島尾先生が、亡くなった場所、山口さん、益田さん、そしてこの重玄寺、没した確率が5%といわれまして大変ショックを受けましたが、私も井原市長になる前は重玄寺のある芳井町の町長をしておりました。その先代の町長が佐藤町長という人で、このサミットの初めて参画した時に佐藤町長が自分を紹介するのに「雪舟終焉の地からまいりました芳井町長の佐藤です」といったら大ひんしゅくを買ったと。「だから瀧本、サミットに参加したら終焉の地といわず、ゆかりの地といえよ」といわれましたが、今日、そのような島尾先生のお話をいただきまして、先ほどこのステージが始まる前に控室で益田市長さん、山口市の副市長さんと話をして、お互いに仲よくやろうなという話の確認を取りましたので、今後も一緒に仲よくやっていきたいと思っておるところでございます。
そして井原市には先人顕彰会井原、雪舟を語る会など民間の方々がこの雪舟の顕彰活動を行っていただいておりまして、平成18年には雪舟を語る会主催によります没後500年記念事業を開催するなど、活動をされておられます。
井原市においては現在、人口が4万2000人という市でございますが、市内在住の外国人人口が約410人ということで、インバウンド等を意識した取り組みも行っております。そのひとつが、今日は総社市長がチュッピー、全国ゆるキャラ、昨年第2位ということで総社市長は自分の選挙以上にゆるキャラのチュッピーの応援で選挙運動をやっておられましたが、私どもはでんちゅうくんというのが正面にございますが、ジャパンエキスポ、フランスで行われる、ゆるキャラなど、またアニメの文化、日本の文化を伝えるイベント、最大規模のイベントですが、4日間行われまして約24万人の方々がお越しになってでんちゅうくんも参加し、私も参加させていただきまして、井原デニムであり、星であり、野菜であり、雪舟さんも含めて大いにフランスでアピールをしてきたところでございます。
三原市さんとの関係でいえば、福山市を中心とした備後圏域連携中枢都市連携という協定を結ばさせていただきまして、岡山県側では私どもと笠岡さんの2市だけですが、県境という位置づけでその圏域の協議会に加入させていただいておりまして、一緒に県境を越えた医療連携や観光を含めた活動の取り組みを行っておるところでございます。そして、今、何をおいても、1市、1自治体だけでは何事も大きな課題を解消することはできません。これはもう雪舟さんつながりで今日お集まりの6市というのは、先ほどの備後圏域は福山市を中心としたそのまわりの市だけでございますが、この雪舟サミットは中国を全部エリアとした構成市が集まっておりますので、今後、こうした雪舟サミットの構成市の皆さんとさまざまな観点から情報を共有しながら、また課題も共有しながら連携を取ってさらなる各市の発展のために取り組んでいきたいと思っておりますので、今後ともなにとぞよろしくお願いを申し上げます。ご清聴ありがとうございました。
作田>
ありがとうございました。とても参考になる発表であったと思います。続きまして益田市、山本浩章市長のほうからよろしくお願いいたします。
山本>
益田市長の山本浩章でございます。よろしくお願いいたします。まずもって本日、ここ三原市におきまして6市の関係者が一堂に会し、またたくさんの参加者のもとに第16回の雪舟サミットが盛大に開催されますことを心からお喜び申し上げます。前回第15回は一昨年益田市で開催させていただきました。その折には皆さん、多くの方にご来場いただきましたこと、また、ご協力いただきましたことにお礼を申し上げます。それから、今日はこのあとのアトラクションに石見神楽、益田市の道川社中を呼んでいただいております。このようにお声がけいただいたこともお礼を申し上げます。石見神楽、たくさんの方々がお見えになって大変感動したというお声をいただいておりますので、今日はごゆっくりとお楽しみいただきたいと思います。
それでは益田市のことをご紹介申し上げます。益田市は、島根県のほぼ西端に位置しております。人口が4万7000人あまり、面積は733平方キロメートル、島根県の自治体としてはいちばん広い自治体となっています。益田市の自然ですが、本当に美しい景色がたくさんあります。山から海にかけて、また川も、高津川という一級河川は国土交通省の水質調査で何回も水質日本一を記録している川でございます。この時期は特に匹見峡、紅葉が非常に美しい景色を観光客に見せているところであります。また特産品もたくさんあります。メロン、ゆず、わさび、はまぐり。このはまぐりに関しましては毎年、このはまぐりの貝殻に絵を描くはまぐりアート展というものも開催しております。ぜひ、益田市にお越しの際にはこうした特産品をご賞味いただければと思います。
次に、益田市と雪舟との関わりですが、益田市の見解としては、雪舟は少なくとも2回は益田市を訪問しております。まず1回目は西暦1478年、宗観寺、現在の医光寺、この右のほうのお寺ですが、ここの第5代住職として迎えられております。そしてこの医光寺と少し離れたところにある萬福寺にそれぞれ雪舟が作庭をしておられます。現在、雪舟庭園と称されている庭園は全国に4つありますが、そのうち2つがこの益田にあるということは大変名誉なことであると考えております。
もう一度訪れたのが終焉の時であると。これは、先ほども雪舟がどの地で亡くなったかいろいろな説があるということでしたが、益田説を取りますと、西暦1506年、87歳の時に益田市の東光寺、今は大喜庵という名前になっておりますが、ここで亡くなられたという説もあります。雪舟のお墓も益田市に残っております。これも、重玄寺さんにもあるということですが、益田市にもお墓があります。
次に、雪舟の作品を紹介します。まず左側の「益田兼堯像」。これは現在、国の重要文化財に指定されております。雪舟が60歳の時に当時の益田市の領主であった益田兼堯の像を描いたものです。この絵は平成元年にふるさと創生事業によって益田市が購入し、現在は市が所蔵しております。それから「四季花鳥図屏風」。この絵は現在、京都国立博物館が所有している、やはり国の重要文化財でありますが、この絵が描かれたきっかけというのが、雪舟がこの益田兼堯の孫にあたる益田宗兼の家督相続のお祝いとして描いて贈ったものだといわれております。
前回、雪舟サミットを益田市で開催しました時にはどうやって機運を盛り上げていこうかということで、開催の10月に先だって5月から、5ヶ月前から毎月「雪舟まるしぇ」というものを開催しました。この雪舟まるしぇというのは、たとえば自分の作品であるとか、作ったお菓子、こういったものを発表したり販売する場、あるいはミニコンサートのブースを雪舟の郷記念館の駐車場を会場に展開したわけであります。雪舟をキーワードにいろいろな方々に集っていただきました。回を重ねるごとに出展者、参加者も増えて、10月の雪舟サミットに向けて大いに盛り上がってまいりましたし、雪舟の郷記念館の来場者も着実に増えてまいりました。このまるしぇには益田の市民グループだけではなくて、お隣の津和野町、江津市や山口県萩市、こうしたまちからもグループが積極的に参加されまして、そのグループ間でもいろいろな交流の輪が広がっているということです。今年はこの雪舟まるしぇの流れを受けまして、益田市立図書館の前庭でライブラリーカフェも行っておりまして、雪舟まるしぇの参加メンバーの交流が今でも続いているというところです。
雪舟さんにちなんだ国際交流も行っております。益田市は平成3年に中国の寧波と友好交流議定書を結んでおります。寧波市は皆さんご存じのとおり、雪舟が1467年に中国に渡った時に寧波市の天童寺というお寺で修行をされました。そして天童寺で僧座の第一座になったということを雪舟さんは生涯プライドにしていたわけですが、この天童寺がある寧波市との交流をずっと続けております。友好交流団の相互の派遣でありますとか、少年交流事業を行っております。一時、この交流も下火になったのですが、昨年9月に寧波市で行われました国際親善囲碁大会に益田の代表団が参加したり、あるいは益田市で毎年開催しております萩岩見空港マラソン全国大会に寧波市から代表選手を派遣いただいたりしました。ちょうど今月、寧波市の山岳マラソン大会というのが開催されますが、これにも益田市から代表選手が参加する予定となっております。
次に益田市のインバウンド施策について申し上げます。雪舟をはじめ、益田市には中世の関連遺跡が多く残っております。特に中世の領主であった益田氏に関連する遺跡や古文書がたくさん残っておりますので、こうしたものをいかして中世の食再現プロジェクトというものが立ち上がっております。益田家の古文書であります益田家文書には益田家が毛利家に服属する際に毛利家をおもてなしした献立が克明に残されておりましたので、その献立を現代に再現しようというものです。お酒や調味料の商品化も行っております。また、時々、雪舟庭園のある萬福寺ではこの中世の食の試食会、そして雪舟庭園の観賞会を行うと共にこうした商品の販売も行っております。山陽方面からもたくさんのお客さんにおいでいただきまして、好評をいただいております。あわせて食育、豆腐作りのワークショップも開催しまして、各地からインバウンド効果の広がりも見せております。
益田市の文化の発信拠点としまして、島根県立島根県芸術文化センター、愛称グラントワという施設があります。今から12年前の平成17年10月にオープンしております。一昨年の益田市の雪舟サミットもこのグラントワを主会場として開催いたしました。ちなみにグラントワというのはフランス語で「大きな屋根」という意味です。石見地方の特産品であります赤瓦、石見瓦を約28万枚、屋根だけではなく壁面にも使っているという建物で、中には美術館と芸術劇場、ホールが一体化した複合施設となっています。このグラントワを益田市の文化の発信拠点として益田市の万葉文化、万葉文化というのは益田市は雪舟ゆかりの地というだけではなくて万葉歌人であります柿本人麻呂ゆかりのまちともなっておりますので、万葉文化、そして中世文化の息遣いを今に伝える、そして新たな文化の発信をめざしております。またちょうど9月30日から11月13日、あさってまでこのグラントワの石見美術館におきまして、「石見の戦国武将展」という企画展を開催しております。益田家のみならず中世のさまざまな関連美術品、絵画、刀剣、鎧かぶと、仏像といったものを展示しております。またこの関連行事としては、たとえば「よみがえる戦国の宴」、あるいは「戦国武将のたしなみ体験」として茶道の体験などをいろいろな方々に参加し体験していただいているところです。また、近年、民間団体からも雪舟、または益田市を発信していこうという動きが現れました。平成29年9月に民間団体であります「雪舟の庭を愛でる会」から情報発信のための情報誌が発行されました。公的な情報誌もたくさんありますが、私的な団体からの素晴らしい情報発信でありまして、雪舟の庭を全国に発信していこうと官民が一体となって取り組んでいるところであります。引き続きこれからも益田市の万葉文化、中世文化の息吹を全国に発信して、雪舟さんを敬い、雪舟さんと共に生きる、そうした市民の気持ちを大切にした文化施策を積極的に進めていきたいと考えております。また皆様方のいろいろなアドバイス、ご協力をお願いを申し上げます。
以上で益田市の取り組みについての発表を終わります。ご清聴ありがとうございました。
作田>
ありがとうございました。続きまして山口市の伊藤和貴副市長のほうからご案内をお願いいたします。
伊藤>
ただいまご紹介にあずかりました山口市の伊藤でございます。よろしくお願いいたします。リレートークの終了時間が16時ということで、作田館長さんの顔もかなり厳しそうだというふうになっているので、さっくりといきたいと思います。よろしくお願いします。
この表紙の写真、国宝瑠璃光寺五重塔でございます。山口市のシンボルといってさしつかえないと思います。無料で観覧できる国宝でございます。ぜひおいでくださいませ。
山口市は山口県の中央部に位置する県庁所在地となっております。約1023平方キロメートル、県下最大の面積を有しております。新幹線が発着する新山口駅から島根県益田市さんにいたるJR山口線では途中の津和野駅までSLやまぐち号が運行されているといったような状況でございます。それからこれは、力強く走るSLの姿は本市の観光のシンボルとして非常に人気を呼んでおります。現在開催中のデスティネーションキャンペーンにおきましては新型客車が投入されるなどさらに全国からの注目を集めるという状況でございます。そして今月の25・26日にはいわゆるデゴイチが復活運転をいたします。そしてこれに関連して、全国のSLサミットin山口を開催することといたしております。23日にはこちらの画像にございますC57、D51、C56の3両の機関車揃い踏みの展示を行うなど、鉄道ファンには見逃せないイベントになるであろうと思っております。
これは先ほど島尾先生からしっかり宣伝していただいたものでございますが、84年ぶりに発見された雪舟真筆「倣夏珪山水図」、これが現在、山口県立美術館において公開されております。島尾先生から十分なお勧めがあったのでもう申しませんが、私も一昨日、職員に連れられて勉強のために見てまいりました。とても素敵な楽しい展覧会でございました。ぜひとも足を運んでいただければと思っております。期間は12月10日までとなっているようでございます。
これは、山口市においては雪舟はかなり長く滞在した都市ということになっておりまして、市内には常栄寺雪舟庭をはじめ、雪舟が作庭したとの伝承を持つ文化財庭園が数多く存在しております。
それから室町時代、山口に本拠地をおいておりました大内氏は明や朝鮮王朝との交易も盛んに行っておりまして、経済的にも文化的にもかなり発展されたといわれております。そして多くの公家や文化人が山口を来訪する中、京都を離れた雪舟も移住するなど、市内にあります雲谷庵をアトリエとして拠点をおき、国宝「四季山水図」、いわゆる「山水長巻」を描いたといわれているところでございます。
それから雪舟をいわば御用絵師として抱えたと考えられる大内氏に関しまして、ゆかりの史跡であります大内氏館と高嶺城、これが日本城郭協会が選ぶ続日本百名城に選定いただいたところでございます。高嶺城は山口市の北西に位置する高嶺の山上にございまして、大内氏最後の当主であります義長が毛利元就の侵攻に備えて築城を開始した山城といわれております。現在は石垣や井戸が当時をしのぶ名残となっているだけでございまして、なかなか城とは見えない状況になっております。
それから、ここで若干視点を変えまして、本市と海外の関わりにつきまして観光客の動態を少し紹介いたします。ご覧のとおり、ここ数年で外国人観光客は多く伸びております。これは市内をメイン会場とした世界スカウトジャンボリーが開催されたことや山口宇部空港における韓国国際定期便の就航、あるいは台湾との連続チャーター便就航といったことが大きな要因となっていると考えております。
それから次のページをお願いします。こうした中、インバウンド観光の取り組みのひとつとして本市では平成22年度から山口市留学生インバウンド観光大使事業といったものを開始しております。これは市内の大学等に在学中の留学生を観光大使として任命し、帰国後に口コミやインターネット等で山口の魅力を情報発信してもらうといった事業でございます。観光素材を体感してもらうための研修では実際に着物の着付けや市内周辺の観光地等へ案内しており、写真は本年の研修で雪舟庭を訪問した際の一こまであります。
それから最後の画面になります。大内氏により東アジア世界を中心とした幅広い交易交流を通じて充用された大陸的要素と戦国時代の争乱を避け京都から下向した公家、文化人たちから吸収した京都的要素を融合した独自の文化を形作った大内文化、これが本市のひとつの文化的、歴史的な遺産として今も脈々と息づいているというふうに考えております。いわゆる、何といいますか、多様性に対する寛容度合いといいますか、市民のいろいろな価値観を受け入れる力のもとはやはりこの大内時代にあるのかなという気がいたしております。とりもなおさず今後とも、国際的な視点からも交流人口の増加や本市の魅力の向上に努めてまいりたいと考えております。以上です。ご清聴ありがとうございました。
作田>
ありがとうございました。少し主催のほうからお時間をいただきまして、押し押しになっておりますがゆっくりと。では最後にトリを務めていただきます、次期開催地の防府市の村田副市長様のほうからご説明をお願いいたします。
村田>
はい。皆さん、こんにちは。幸せますのまち防府市の副市長を務めております村田でございます。このサミットには2年前の前回、益田のサミットから参加させていただいておりまして、2回目となります。画像でご覧いただきますように、右に市長の松浦正人も入れておりますので、市長ともども参加させていただきます。よろしくお願いいたします。
まず、この「幸せます」というのは山口弁で「ありがたい」という意味でございまして、防府は「幸せます防府」、これを旗印にさまざまな分野で幸せが増すまちを作ろうということで、官民が一体となって取り組んでいるところでございます。市長の幸せが増したかどうかはわかりませんが、本年6月、814の市区を代表する全国市長会長に就任させていただいております。
まず防府市の紹介を少しさせていただきます。ひとつには防府市は山口県の中央に位置しまして、三原駅から、隣に徳山駅というのがありますが、こだまで1時間を加えまして三原市からは電車で約2時間、車で約2時間20分の位置にございます。2つには山口県内最大の平野を持っておりまして、人口12万人の、山口県の人口の重心、山口さんには申し訳ありませんが、重心は防府市にあるという話でございます。3つにはマツダ、協和発酵、ブリヂストンといった世界企業の工場が立地する産業のまちでもあります。そして4つには魏志倭人伝や古事記にも防府の記録が登場するわけですが、2000年の歴史と文化を持つまちということになっております。特に防府が誇ります2000年の歴史と文化のまちを代表する4つの幸せますスポットについて少しご紹介させていただきます。
まずひとつ目が全国最初の一ノ宮、周防一ノ宮玉祖神社でございます。ご祭神は玉祖命で、三種の神器の勾玉を作った玉造の神様であります。古事記には西暦82年、第12代景行天皇が韓国攻めの際に立ち寄ったという記録が残っておりまして、この文献から防府という地域は2000年前からあったのではないかと考えております。平安時代の今昔物語で、全国で初めて一ノ宮と記された格の高い神社でございまして、毎年4月には玉の祭り、これには全国からメガネ店や貴金属店が商売繁盛のご利益を求めて集う、防府の幸せますスポットでございます。
2つ目が創建当初から全国で唯一位置が変わらない周防国分寺です。天平時代、全国68ヶ所に建てられた国分寺ですが、今も創建の場所に残っているのはこの周防国分寺だけです。参拝者が手作りで家族の健康祈願や厄除けのお守りを作ることができるのも人気となっている幸せますスポットです。
3つ目が全国最初の天神様、防府天満宮でございます。学問の神様菅原道真を祀る全国1万2000社の天神様の中で、太宰府天満宮より1年早く、全国で最初に建てられたと伝わっております。本市では80万人が訪れるナンバーワンのスポットですが、飛躍のお守りといいます、真ん中にあります、これ最近出しまして、このお守りを持ちますと、少し小さいのですが飛行機の絵柄が入っています、希望が羽ばたき続け受験にも決して落ちないという幸せますスポットになっております。
4つ目が明治維新後の毛利家の山口県での居宅であります毛利邸でございます。東京に移った毛利家は山口県入りの際、ここで過ごしております。初代外務大臣の井上馨が中心となって建設場所の選定や資金の確保に奔走しました。日清戦争や日露戦争で建てるのに時間がかかりましたが、今から約100年前の大正5年に当時の建築技術の粋を集めた壮大な建物ができあがっております。屋久杉の1枚板を使用した板戸など、天然記念物ですから今は絶対に使えないものだと思いますが、豪華な素材と品のよさが売りの全国屈指の和風近代建築だと思っております。
ここ毛利博物館には山口県にあります9つの国宝のうち4つが所有されておりまして、そのうちのひとつが、やっと出てまいりましたが、雪舟の「四季山水図」でございます。現在、毛利博物館では、京都でもないのですが、これだけ4つ持っているということで、「特別展国宝」を開催中でございまして、「最高の雪舟はここにある」をキャッチコピーに雪舟の「四季山水図」が特別公開されておりますので、ぜひ機会を見つけて防府にもお立ち寄りいただいたらと思っております。
これはPRプラスワンで、時間の関係で、山頭火ふるさと館もできましたが飛ばさせていただきます。
それで、防府市のまとめでございます。実は来年の2018年、明治150年の節目ということで、山口市さんもですが、山口県は県をあげて明治維新記念事業をいろいろ展開しております。その中で防府市は、防府観光維新ということをテーマに、各種の観光資源を結びつけて9月から11月の3ヶ月間、まちをあげて来訪者をもてなす「防府幸せますまち博」というのを立ち上げて、その後も毎年定番の観光キャンペーンとして定着させようというふうに思っております。このまち博のプログラムにこの特別展を組み込みまして、しっかり開催し、雪舟もアピールしていきたいと思っております。また、先ほども申しました毛利庭園は和の象徴的なものを持っておりますので海外からのモニターツアーも実施させていただいて、雪舟を含む本市の和のスポットとしてアピールしていきたいと考えております。特に本日のテーマの「世界に向けて」という、それに向けては今回のサミットや構成各市の事業との連携、これが不可欠だと思っておりまして、皆さんとも今後しっかり連携をさせていただいてアピールさせていただきたいと思っております。
最後に、次回2019年の雪舟サミットは防府で開催されますので多くの皆さんにご来市いただくようよろしくお願いいたします。どうもありがとうございました。
作田>
ありがとうございました。次回の、今のお話を聞いていて、サミットが楽しみになりました。お話の中で世界に向けてのテーマというのはここではサミットの各市が織りなす事業といいますか、それの連携による発信が大切なのではないかというお話がございました。そのお言葉をうけまして、次のディスカッションに入りたいと思いますが、何分時間が押しておりまして、後10分弱しかありませんが、まずは今の5市のお話をお聞きになって私どもの天満市長のほうから口火を切っていただいて、簡単なコメントをいただければ。
天満>
そうですね。いちばん元気な総社市長さんにお願いしたいと思いますが、総社さんは市民公募でデマンドタクシーの雪舟くんという名前がつけられたということで、相当活躍されているということでございます。雪舟の存在が浸透しているという点ではうらやましいですが、総社さんのほうではこのような雪舟の存在を大事にする風土はどれくらい前から取り組んでおられたのか。それから三原市は雪舟とのゆかりがまだまだ浸透しておりません。これからでございます。雪舟とのゆかりが広く認知されるには、総社さんからアドバイスをいただきたいと思いますが、ありましたらよろしくお願いいたします。
片岡>
どうもありがとうございます。今の6市のプレゼンテーションをお聞きになって皆さんも感じたと思うのですが、総社市は出生の地ではありますが、本物の雪舟の絵を持っておりません。それから生後間もなく山口へ行かれ、それから中国へという旅に立たれて、京都にも行かれて、総社市滞在が幼少であったことから作品や逸話を残し切れていないウィークポイントがあります。そこで歴史構築をしていくという我々にとっては難しいテーマです。そこで、僕が最初に言ったように、バーチャルであるとか、行政の中の用語でとか、そういう作られた雪舟というのを作っていくという非常に難しいテーマに我々は立ち向かっているわけであります。天満市長からいったいいつからと言われれば、それはもう昭和の時代になってずっと総社市が追い求めていた雪舟の伝承というのは大なるテーマなのですが、これが本当にヒットして毎日雪舟を見るということになったのは、おそらくこのデマンドタクシーである雪舟くんが毎日見る雪舟としては初めてなのではなかろうかと思います。その他雪舟もなかがあったり、いろいろするのですが、雪舟が実存しなかった時代の雪舟を行政の中で作り上げていく難しさというのをこれからもトライし続けていきたいと思っております。
作田>
ありがとうございました。ではせっかくでございますから、瀧本市長にもお聞きしたいと思いますが、やはり市民の力というものの醸成というのは、先ほど益田の山本市長もおっしゃっていましたが、そういうことに関してはどうお考えでしょうか。
瀧本>
はい。やはり雪舟を顕彰するという立場であれば、行政だけではなかなか難しい問題で、やはり市民の皆さんが雪舟に対する思いを馳せていただくこと、これがいちばん肝要であろうと思っております。そうした中、先ほど申し上げましたが、先人顕彰会、さらには雪舟を語る会など、本当に長年に渡って雪舟を顕彰していく、そして魅力を、井原市の魅力とあわせて発信していただく。まさに我々行政と民の部分、今、井原市も協同のまちづくりということを力を入れて進めておりますが、まさに行政と市民の皆さんとの役割分担をもった取り組みを、こうした雪舟、のみならず多くの魅力を発信していき、また地域ごとにそれぞれの特色ある地域づくりも進めていく。雪舟さんを顕彰することによってそうしたことがよけいに根強く、また盛んになっていくように、そのような思いをいたしております。
作田>
ありがとうございました。市民の主体性を鼓舞するということで、そのへんに関しては同じようなテーマですが、山本市長、いかがですか?
山本>
益田では、先ほど島尾先生のお話もありましたが、雪舟保育園や雪舟苑という高齢者向けの施設があったりして、けっこう雪舟の名前を冠した施設やイベントが多いですが、問題は市民がどれだけ身近に雪舟を感じるかということだと思います。これにはやはり粘り強い啓発、行政がしっかりと伝え、市民の皆さんにも自主的に進んで雪舟に親しむということが大切だと思います。雪舟というのはまさに旅をした画家ですので、今こうして6市でサミットができるのも雪舟の旅のおかげですが、こうしたサミットを通じて雪舟ゆかりのいろいろなまちと連携する、海外交流ということで中国との連携もして、国際的な視野で雪舟、あるいは芸術、旅というものを追いかけていくことが大切なのではないかと思います。
作田>
ありがとうございます。今、山本市長のことばにありましたように、雪舟がそうであったように、今回のテーマは「世界とのつながり」ということですが、やはり外に出ていくということもすごく大切なことです。伊藤副市長にも少しお聞きして、僕はびっくりしたのは、留学生のインバウンド観光大使、あれは素晴らしいですね。ぜひ留学生だけではなくて、就業者も三原にもおりますので、そういう方々が地元に帰って、お国に帰って発信してくれればそれは見えない観光大使だと思いますが、そのあたり少しお話ください。
伊藤>
山口大学に東南アジア各国から留学してくる学生さんたちというのは卒業して母国に帰るとリーダー層になる方々がとても多いのです。外交官であるとか技術指導者であるとか。その方々がやはり山口の歴史と文化を勉強して持ち帰っていただいてPRしていただくというのは大きな力を持っているし、それがインバウンドの増加に確実につながっているという実感を持っております。特に、それ以外のおもしろいこととして、たとえば奥さんと子供も連れて留学してくる方がいらっしゃる。そうすると子どもさんが学齢期になると市立小学校などに入学されるわけです。そこで小学生が友だちを作って、その後母国へ帰るといった時に、向こうで山口クラブみたいなものができるのです。そして山口の子供たちとの交流が始まるということで、たとえばベトナムのハノイ市にはハノイ山口クラブという子どもたちの集団ができています。山口大学のある平川地区の子どもたちとの交流を毎年行っている、そのような波及効果も出ているという実感があります。
作田>
ありがとうございます。大いに参考になる意見ではなかったかと思います。もっともっとお話をしたいのですが、あいにく時間がありませんので、とりあえずここで皆さんのまちづくりに対する熱い思いというのはいかがでしょう?おわかりになられましたですね?素晴らしいと思います。(会場拍手)私、これは僭越ですが、夢なのですが、先ほど井原市のほうで、フランスで開催されたジャパンエキスポにキャラクターが出たというお話がありましたが、僕はそれで夢想するのですが、せっかく雪舟サミットがあるわけですから海外に行って雪舟サミットをやって、もっと多くの人に雪舟の魅力を知ってもらって、ついてはこちらに観光客にも来ていただく。そういう動きがあってもいいなと。たぶん、これは国に言っても少し協力しますよね、いろいろな形で。そんな模索も新しい雪舟サミットとしてやられたらいかがかなと思っております。大変僭越な発言で失礼いたしました。
本当に皆さん、いろいろありがとうございました。これで、2020年には私どもでは東京オリンピック・パラリンピックが開催されます。外国とのつながりとか国際化というのは絶えず考えていかなければいけない問題だと思います。何はともあれ僕たちの雪舟を発信し、そしてまちを発信する。それでみんなとつながっていくということがいちばん大切なことではないかと思います。どうも長い間おつきあいいただき、ありがとうございました。
山口市文化政策課
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