
益田兼堯像
雪舟ゆかりの自治体が相集い、16年ぶり3回目となる「雪舟サミット」を益田で開催する運びとなりました。交流がより深まることを願っています。
雪舟は60歳のころ、益田氏(藤原氏の一族で石見地方の有力豪族)第15代益田兼堯の招きにより益田を訪れ、兼堯の肖像画を描きました。写実的で生き生きとしたこの兼堯像は、雪舟と兼堯との親しい交遊を物語っています。
また、当時益田氏の菩提寺であった崇観寺(現医光寺)と萬福寺に石を巧みに配した雅趣豊かな石庭を築きました。
のち、晩年の80歳以降、再び益田を訪れた雪舟は、東光寺(現大喜庵)において文亀2年(1502)83歳で亡くなったと伝えられています。
(一説に87歳没)
医光寺
雪舟が第5代住職を勤めた寺。雪舟は山畔を利用し、鶴池に亀島、三尊石、枯滝石組等を立体的に配した武家様式の石庭を築きました。(国指定史跡及び名勝)また雪舟を荼毘に付した雪舟灰塚があります。
萬福寺
益田氏第11代・益田兼見が現在地に移転し時宗に改宗(本堂・重文)。雪舟はこの萬福寺に寺院様式で心字池の護岸と三尊石、枯滝石組みがみごとな石庭を築きました。(国指定史跡及び名勝)
今年で22回目を迎える「雪舟さんまつり」は、雪舟の史跡・大喜庵と雪舟の郷記念館周辺で開催され、雪舟小僧さん行列や雪舟なべのおもてなし等、雪舟づくしの一日を楽しんでいます。