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井原市・雪舟サミットに寄せて
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雪舟サミットに寄せて

画聖雪舟が足跡を残したまちが、情報交換をしながらさまざまな分野での交流を図っていくことを目的にした雪舟サミットが、今年で15回目を迎えました。サミットをきっかけに、関係各市の交流がより一層深まることを願っています。

雪舟は旅の途中で天神峡にある天神社に詣で、菅原道真公の肖像画を重玄寺に持ち帰ったという伝承がこの地方に残っています。

重玄寺は古くから雪舟終焉の地と伝えられてきました。平成8年に重玄寺開山千畝周竹の語録「也足外集」の中に、雪舟とのつながりを示す記述が確認され、井原市と雪舟を結びつける史料となっています。

また、重玄寺所蔵の千畝和尚の頂相が雪舟の筆法に似ていることや、雪舟の「山寺図」(狩野常信模本)に描かれた風景が、重玄寺の所在する芳井町の景観に大変よく似ていることなどが専門家から注目されているところです。

重玄寺跡(雪舟終焉の碑)
「重玄寺跡(雪舟終焉の碑)」
開山は室町時代を代表する傑僧千畝周竹です。雪舟が重玄寺を訪れたのは、千畝和尚との関わりからではないかと考えられています。
也足外集
「也足外集(西光寺所蔵)」
千畝和尚の遺した語録。このうちの法語の一つに、雪舟の一族の人物(赤浜の藤氏)の法事を千畝和尚が行っていると推測される記述があります。また、漢詩の中に、揚公(雪舟のこと)の文字が見られ、千畝和尚が雪舟に贈ったとみられる詩があります。これらの記述により雪舟と重玄寺のつながりに関心が寄せられています。
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