雪舟は60歳のころ、第15代益田兼堯に招かれ益田を訪問。生き生きとした兼堯の肖像画を描き、17代宗兼の家督相続のお祝いに四季花鳥図屏風を描きました。また、雪舟は当時の益田家の菩提寺であった崇観寺(現在の医光寺)と萬福寺にそれぞれ雅趣豊かな庭園を築いています。晩年、雪舟は益田を再訪し東光寺に入山。そこで83歳で亡くなったと伝えられています。その後東光寺は火災で焼失。跡地に雪舟の遺跡を保存しようと大喜庵が建立されました。画聖雪舟―益田の人々は親しみと尊敬を込めて「雪舟さん」と呼び代々語り継いでいます。