地元では雪舟が芳井町天神山の重玄寺で没したと伝えられており、『吉備物語』や『東福寺誌』など近世地誌に「備中の重玄寺で雪舟が没した」と記されています。また平成8年には、重玄寺開山千畝和尚の語録『也足外集』の中に雪舟と千畝和尚に親交があった可能性を示す記述が確認され、井原市と雪舟を結びつける史料として注目されています。また近年になって、重玄寺所蔵の千畝和尚の頂像が雪舟の筆法に似ていることや、雪舟の『山寺図』に描かれた風景が芳井町の景観に酷似していることなどが専門家らから注目され、研究が進められています。