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山口市と雪舟とのかかわり
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 歴史

     雪舟が山口に初めて来たのは、まだ拙宗と号していた1455年頃といわれ、28代大内教弘の時代でした。1467年には、大内氏の遣明船に乗り、念願の明に渡りました。画の勉強を終えた雪舟は、1469年、帰国し日本各地を転々とした後、1483年、再び山口に戻り、雲谷庵に定住しました。創作活動に全てを注ぎ、1486年、最高の作品ともいわれる「山水長巻」を山口で完成させました。1506年、87歳でこの世を去りますが、その画風は、毛利氏の時代「雲谷派」と呼ばれる画系により再興され、受け継がれることになります。

 ゆかりの地概要

 国指定史跡及び名勝である「常栄寺庭園(雪舟庭)」は、周防などの守護であった29代大内政弘が室町時代中頃、画聖雪舟に依頼し築庭したものといわれています。東・西・北の三方を林で囲まれた庭は、水と石に主体がおかれ、簡素にして豪放。雪舟の山水画そのままの名園としてその名を知られています。
 市指定史跡である「雲谷庵跡」は、雪舟が山口に滞在した時のアトリエがあった場所と言われており、国宝「山水長巻」、「破墨山水図」、「天橋立図」など多くの作品をここで描きました。永正3年(1506年)87歳でここ雲谷庵において没したと言われていますが、現在ある建物は、明治時代に有志により再建されたものです。


常栄寺雪舟庭
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