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益田市と雪舟とのかかわり
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 歴史

 益田市は雪舟がその円熟期と晩年を過ごした地といわれています。
 文明元年(1469 年)、中国より帰国した雪舟は、大分県で天開図画楼を開いた後、1478 年ごろ益田七尾城主益田兼堯の招きにより益田を訪問し、「益田兼堯像」「山寺図」「花鳥図屏風」を描き、萬福寺、崇観寺(現医光寺)の両寺に山水庭を築きました。その後益田をあとにし、各地を旅しながら活発な制作活動を展開しました。晩年に益田を再び訪れ、1506 年、東光寺(現大喜庵)で87 歳で死没したといわれています。

 ゆかりの地概要

・大喜庵

雪舟が最晩年を過ごした寺(当時「東光寺」)。裏山には雪舟の墓が残されています。現在は隣に雪舟の郷記念館があります。


大喜庵

・医光寺

益田氏(藤原氏の一族で石見地方の有力豪族)15代兼堯の招きにより、雪舟が第5代住職として迎えられた寺(当時「崇観寺」)。鶴を象った池の中に亀島を浮かべている雪舟庭園があります。

・萬福寺

萬福寺にも益田兼堯公の依頼による雪舟庭園があります。中央の小高い須弥山の石組みの集団は、荘厳で重圧感あり、観る人の心をしっかりと捕らえ、それが麓の心字池によく釣り合って、広い空間の中に一生不住を原則とした「無心」の宗旨にも共感しています。


萬福寺庭園

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